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こころの就労・生活相談室~元当事者PSWのブログ~

精神保健福祉士(PSW)を取得、統合失調症を抱えながら転職を繰り返し当事者として障害者雇用で働いた経験のある著者のつれづれ日記です。

第一章 ~蘇生と出会い~ 2

“紺野先生の作業所ってどんな所なんだろう”と雄志は興味を持った。学校からの帰りに寄らせてもらおうと、深山駅(仮称)まで向かった。

駅から歩いて数分の距離だった。高架をくぐって歩いていたが看板が掲げてあるわけでもなく、始めは探すのに戸惑ったが、やがてわかった。

年季を感じる古い一軒の店らしきものがそこにはあった。雄志はドアを開き、中へ入っていった。

「こんにちは、お邪魔します」
目の前のガラスケースに昆布が商品として置かれていた。

“作業所でなぜ昆布を売っているんだろう?”
雄志がその理由を知るまでには数年を要することとなる。中へ入ると、犬が出迎えてくれた。誰もいないのかな・・少し不安になりながらも

「こんにちは」
と誰にいうとなく呼びかけてみた。入口付近にはだれもいないようだ。反応がないので少し奥へ入りながらもう一度挨拶した。

 

年配の老婦人が破れたソファーに横になったままほとんど動かない姿をみた。少しPSWの勉強した雄志は理解し、自分に言い聞かせた。

「そのままを受け入れるんだ」
と言い聞かせ、再び

「こんにちは」
と挨拶した。別の部屋を覗くと、ジャラジャラと麻雀の音が聞こえてくる。手馴れた様子で、パイを打つ音がせわしなく聞こえてくる。しかも手の動きがかなり速い。

「兄ちゃんやるか」
そのうちの一人の男性が声をかけてくれた。雄志にとっては学んだことを初めて生かす“対人援助”の場である。男性が声をかけてくれたので入りやすかった。しかし、あっけなく雄志は負けてしまった。そう甘くなかった。

「兄ちゃん、もっと勉強してきぃや」
そう言われ、少し落ち込んだまま隣の部屋へと入った。

「兄ちゃんご飯食べていくか」
五十代ぐらいのおっちゃんから声をかけられた。

「あ、はい・・・」
温かな声をかけてくれたことが嬉しかった。

「300円やで」
あまりの安さに嬉しく思ったが、しかし残りは千円しかない。コーヒーと晩御飯でなくなるな。帰りの電車賃は700円か・・・。そんなことを考えながらご飯をよそおった。

 

自分でできることは自分でやる。それが作業所の方針でもあった。麻雀組を除いて仲の良い人同士2、3人で食べている人もいるが、他は別々で食べているようだ。メンバーさんたちは自然体で思い思いのまま椅子に座っていた。雄志は何かしゃべらないといけない、と思い、

「隣に座っていいですか?」
と隣にいる60代の男性に声をかけた。

「あぁ、どうぞ」
人のよさそうな男性は快く返事をしてくれた。

「兄ちゃんどっからきたんや?学生か?」
「はい、市内のほうから来ました。専門学校に通っています。僕も病気で薬を飲んでいるんです。」
「そうは見えへんけどなぁ、でもわしらは薬だらけやで」
食事をたべると男性は包化された薬を飲み始めた。
「どれが何に効いてるのかさっぱりわからへんけどな、はは」
と笑うと10錠程の薬と水をグイっと一気にのんだ。

「わし今週、兄貴の葬式に行かなあかんねん、お金ないし、着ていく服ないし親戚に会わなならんし困ってるねん。」
と困った顔をして席を立った。

「そうなんですか、辛いですね・・・。」
雄志は、辛さを共感したいと懸命に頭を働かせていた。そしてコップの水を飲み立ち上がった。

「兄ちゃん自分で洗いや」
食器を台所に持っていくと、食事をつくってくれた男性からそういわれ、洗剤をつけながらいつもより丁寧に洗った。

 紺野先生は病院でケースワーカーとして入職、病院内にデイケアを作り、利用者が働く環境をも整える実績をつくられ、退職後、作業所を立ち上げられたのであった。しばらく見学させてもらった後、夜もふけていたので、雄志はお礼をいい、作業所をあとにした。数日後、雄志はその紺野先生の創られた病院デイケアに見学に行かせてもらうことになる。

 新緑の5月、授業が午前中で終わると、雄志は、専門学校の最寄駅である泉中駅(仮称)から電車で深山駅まで行き、富士山病院(仮称)デイケアへとむかった。ここはどうやら食堂になっているようだ。ラーメンやカレー、うどんが格安で売られている。しかも具だくさんでおいしい!気持ちがいっぱい込められてているのが伝わってくる。どういう人が働いているのだろう。厨房の人、食券を扱う人、レジの人、コロッケだけを売りさばく人・・・。

 その人その人の役割がちゃんとある。そのなかで、利用者が活き活きと働いている。看護師はじめ病院の職員はこの食堂で、昼ごはんを食べていたりした。
そう思うと雄志は目からうろこが落ちた。感動した。読者の方のなかには、こう思う方もいるだろう。病気の人ばかり見て、何のためになるのか、自分自身の病気がそれで治るのか、と。雄志は別の見方をしていた。

 

 心の病を持つ人がどうすれば救われたと感じる状態になるのか。地域で普通に暮らせる環境をつくるには、どういうアプローチが必要なのか。もちろんこの時、雄志は病気を抱えていたので、同じ病気を抱える人と話すのが実は何より楽しみであった。この病気を抱える先輩方が、いきいきと働いている、なんと心強い先輩がたくさんいるのか!雄志には心躍るものがあったのだ。同じ光景でも、見る人によって見え方は全く違ってくる。そう仏典にもある。

雄志は求めていたものがここにあったと確信し、心が充分に満たされた。こういう世界を現出できる紺野先生はほんとにすごい方だ。と改めて実感した。大学で難しいことを学ぶだけでは味わえない世界を体験させてもらった。

 “なるほど、精神保健福祉士とは、このように、利用者が活き活きと働く環境をつくっていく、そういうアプローチが求められるのだな。資格を取るだけなら誰でもできるかもしれないが、紺野先生のような働きが求められるとしたら、なかなかそう簡単にはできないだろう”と雄志は思った。

 心の病を癒すためには、この資格を勉強するのはいいかもしれない。しかし、実習や地域でどの先生と出会えるかで決定的にその後の成長が違ってくるだろう。同じ資格といってもその実力の差は年数とともに歴然としてくるだろう。この資格は人生経験も相当大事になってくるのではないか。

 本当は、職務経験を数十年積んで、ソーシャルワーカーとしての技術と心を確かに持った人への記別として資格を授与するのが、自然ではないのか、そう思ったりもした。

 

 翌週、雄志は、JR岸ノ辺駅(仮称)を降り、踏み切りの音を後ろに聞きながら別の講師の先生と同期の仲間と少しさびれた商店街を歩き始めた。商店街のずっと向こうには蓮華畑が、辺り一面に広がっている。風を受けて花は少し揺らいでいる。蓮華畑が心地よく充足感でいっぱいとなっていくようだった。商店街の近くに夢見診療所があるという。学校が職場見学にと企画してくれたものだった。

 医療機関か・・・こんな所で働けたらいいなと思いながら、中に入っていくと、診療所ケースワーカーの岸本先生が煙草を吸いながら笑顔で迎えてくれた。
部屋にはぎっしりと専門書が並んでいる。さすがはプロの先生だな・・雄志はそう思った。
障害年金を受けたいと相談されたらあなたならどうしますか?」
と岸本先生(仮名)は一人の学生に問いかけた。
学生が答えにつまると、

「全部一人でやろうとするとしんどくなるんです。私ならまず知り合いの社会保険労務士さんに相談します。」

「薬のことは医者に聞けばいいし、役所や制度などは知り合いの市役所の方に聞くと早いよ。仲良くなっておいて下さいね。」

“そんなことでいいのか?”
と瞬間、疑問に思ったが、実はこれは大切なポイントである。上手に人に頼るコツを教えてくれたのだ。

 全部自分ひとりでやらないといけないと気合を入れすぎていた雄志は少し楽な気持ちになったが、自分に足りない新たな力が必要なことを納得した。それは、さまざま専門職の『人脈』である。

 雄志の苦手とすることだった。もともと机に座ってコツコツ勉強することが多く、静かで人間関係が不得手である雄志が、紺野先生や岸本先生のようなPSWを目指すというのも大変難しい目標であった。

自分が病気を治すためだけに学ぶ目的であれば充分だったかもしれないが、この先生のように人脈を活用して四方八方活躍していく姿には仰天するばかりだった。

「こういう仕事が果たして本当に私にできるのだろうか・・・」
 ハードルが高いだけに悩む所だが、一度、腹をくくって飛び込んだ世界である。卒業し、国家資格を取り、就職するという目標は断じて達成しようというのがこの時の雄志の決意であった。PSWの先生方は人間としての器も魅力もあり、話を聞くにつれ、雄志はいよいよPSWの仕事に魅かれていった。

 岸本先生の話しでは、学生時代にいろいろな関係機関を見学していくこと、そして『名刺』を渡していく大切さを知ることなどを教えてくれた。それは、先生方が、誰かいい人いないかな・・と思ったときに、名刺があればお誘いの電話ができるというのだ。

「そういうことがあるんだ・・・」
と同級生と雄志たちは、帰宅後、名刺作りに励むことになる。