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こころの就労・生活相談室~元当事者PSWのブログ~

精神保健福祉士(PSW)を取得、統合失調症を抱えながら転職を繰り返し当事者として障害者雇用で働いた経験のある著者のつれづれ日記です。

第一章 ~蘇生と出会い~ 4

「座談会形式で自分の病気を語り合うんです」

紺野先生はそう話をしていた。形式張らずに心を病む人同士がありのままを語れる環境をつくっていく。

これはPSW(精神科ソーシャルワーカー)にとって必要不可欠の実践要素だ。
作業所を見学した後は気分が晴れたが、医療施設となると医者を意識してしまうのか、身構えてガチガチになってしまう雄志がいる。

そんななか、実習の見学先として雄志は富士山病院系列の地域生活支援センターピアニッシモ」(仮称)に興味を持った。今年できたばかりの新しい施設である。木製の優しいつくりのドアを開けて入っていった。

「こんにちは」
と中へ入るとまるで、ログハウス仕立てのような居心地のいい空間があらわれたではないか。
 

奥へ入るとオープンキッチンがあり、椅子や円テーブルもバランスよく並べられて見た目も心地がいい。

『談話室』『休憩室』などを紹介されたが、ポイントは『休憩室』である。『休憩室』は『(怠けではなく)疲れやすい』特徴をもつ心の病を持つ人に一番配慮してくれる部屋である。これがあると、倒れることを心配せずに、安心して頑張れるのだ。決して怠けているわけではないことを家族の方は理解してほしい。真面目で一生懸命で、不器用ながら考え悩んで頑張ってきた人なのだ。
 

 雄志は、以前から心の病を持つ人が増えているので社会全体として真摯に受け止め対策を考えないといけないと各党に意見していた。
 

 しかし根本的には、もっと儲けよう、人を働かせようという、人権を無視した暴君的な存在が会社等で幅を利かせていることに原因がある。阿修羅のように働くのはよいが人に押し付けるなかれ、“私は人より優れている”とか“成果を出している”など、そんな修羅の生命の現れが今日の日本社会を作り出したのである。

 勝者のおごり高ぶる陰で一体どれほど無数の人が、家族が悩み苦しんでいることか!人より優れ、勝つのはよいが、傲慢になるな!人を見下すな!トップに立つ人間の振る舞いで未来は決まってゆく。今のままでは人権尊重を謳いながらも人間軽視の世界となってしまいかねない。クイズと料理番組などでテレビの世界はにぎやかであるが、その陰には、いまも悩みの尽きない人はたくさんいる。ほんとうは表に現れない、悩んでいるその人達を応援することに力を注ぐべきである。生命尊厳の世紀へと流れをどんどんと語りことで変えていくのだ。心を変革せよ。気付いた善人は連帯して社会変革へ向け行動せよ。
 

 負けた人の痛みと屈辱をそのままほったらかしにしてはならない。再び社会で負けないように応援していくのだ。何事も『聴く』ことが大事な時代である。心を病んだ人はどうしょうもない敗北の屈辱感を味わっている。悔しさで煩悶している。社会ではい上がれないもどかしさがある。そんな人を突き放してはならない。人生のしんどさをしっかりと聴くのが精神保健福祉の分野であり仕事である。いや、それはどの分野にも必要なことだ。人には様々な生活歴がありその背景を踏まえるべきだ。
 

 さて、『休憩室』これがあるだけで、心はほっと休まるのであった。
雄志は、これから出会う人に心の中で敬意を払いながら、どんな人がいるのだろうとわくわくしながらピアニッシモへ入っていったのだった。煙草を吸っている人がいた。どこか疲れ切った感じのする人たちである。雄志は同席して雰囲気になじんでいこうと、静かに椅子に座り一服し始めた。しばらく沈黙の間が続いた。

「はよ就職したいですわぁ」
ポロシャツをきた四十代の男性が同席していたスタッフにぽつりと話し始めた。

「お気持ちはよくわかります。」
スタッフは少しうなずくようにして話しを受け止めた。

「どこかいいとこないかな。」
そんなとき、「ありますよ」とか「いや、あなたには無理ですよ」
などと言えるだろうか?

「そうですね、プログラムの中で一緒に考えていきましょうか?」
スタッフは利用者の話しを受け止め傾聴していくのだ。
見た目ですぐに判断を下してはいけない。

スタッフの「こう支援したい」という一方的な想いを伝えるだけでは適切な支援ではない。情報を示し、判断するのはあくまで本人なのである。その自発を促すことにポイントがある。

 男性は「そやな」とゆっくりと手を灰皿にもっていき、とんとんとたばこの灰を落とした。雄志は隣にいて利用者への接し方をスタッフから学んでいった。

 

さて、山岡診療所の診察の日がきた。山岡先生の診察には、予約待ちで、待ち人が多い。そんな中、隣にいる婦人より声をかけられた。

「今日7月3日は山岡診察所の開院記念日なんです。蘭の花があるでしょ、山岡先生の師匠・山本先生からプレゼントされたものなんですよ。」

「あ、そうでしたか!」
声をかけられ雄志は驚いた。患者さんのなかには

「病気になってからようやく人の痛みに気づけるようになれたんです」
と感謝している方もいる。しかし、多くの患者さんは、いつも何か不満を抱えている。先生方はその不満を聞き、適切なアドバイスをしようとしているのだ。ただ、見聞きする医院の中には、患者の訴えを聞き流したり、「働くのはまだ早い」と患者自身が就労に挑戦をすることを回避したりして、“固定客”のように、囲い込みしながら診察をしている医師もいると聞く。

「薬が多くても量を減らしてくれない。」
“医師と薬屋は仲良くつるんでいるのだ”と主張する人もいた。
ともあれ、雄志は、「日中眠けがひどい」ことや「手が震える」ことなどを訴えた。誰かが僕のことを想って泣いていると心で感じた(妄想着想)ときもあり、突然、散髪屋で泣きだすこともあった。自分が“世界を救おうとして”頑張ってることを“陰”ではちゃんと知ってくれている人もいる、と感動しながら妄想することもあった。自意識過剰と言われたり、気にしすぎと言われることもあるが、病気と関係しているのであろう。ただ、自分が何かを“感じる”ように、周りは感じていないのが実際であった。

 山岡先生の診察を終えると、近くの中華料理屋でご飯を食べたり、新しいラーメン屋を探しに出かけるのがいつもの雄志の姿であった。

 

 病院の診察が終わると、就職のことを考え、近くにある福祉人材センターに行き、求人動向を調べていたりしていた。精神の分野での求人は少なく、看護師や介護福祉士の求人が圧倒的に多いのが現実だ。精神保健福祉士を求めている施設は少なかった上、あってもすぐに募集が締め切られることがほとんどであった。また給料が非常に安く、とても生活していけるだけの金額ではなかった。