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こころの就労・生活相談室~元当事者PSWのブログ~

精神保健福祉士(PSW)を取得、統合失調症を抱えながら転職を繰り返し当事者として障害者雇用で働いた経験のある著者のつれづれ日記です。

第一章 ~蘇生と出会い~ 1

 雄志は病気と留年のハンデを克服しようと懸命に挑戦していった。2002年4月、桜色に映える環境のなか、専門学校生活が始まった。精神保健福祉士の卵である学生が関西各地から集まってきていた。

 新しい気持ちで新しい挑戦を、新たな出会いを求めて!新しい扉は自ら開けるのだ!頑張れ新入生!と自身に言い聞かせながら、新たな友人となる学生と仲良くなろうと思った。この時、雄志はすでに26歳となっていた。この専門学校の男子の平均年齢は26歳、女子は23歳であった。

 社会人には3年程遅れての出発だが、うまくいけばまだ世間の流れに乗っていけるに違いない。まだ間に合う、これから頑張ればいくらでも挽回できる。そう思った。皆、生き生きとした目をしていたがしかし、実は皆、就職を心配していた。精神保健福祉の分野はこれからの資格だと言われたものの、就職先の確保は共通の悩みであった。ある人は作業所のボランティアから始めて職員となった人もいたし、またある人は実習先で認められてそのまま就職した人もいた。

 精神保健福祉士とは、精神障がい者を対象に社会参加を支援していく国家資格である。精神病院にはいまだ30万人を超える患者が入院しており、なかには30年近く入院している人もいる。身元引受人もおらず、やむなく入院生活を続けざるを得ないケースも多い。入院が長期化すると、“自立した生活”をする力を奪ってしまいかねない。

 そんななか、病院の生活から地域で生活できるよう、また“働きたい”との思いを応援できるよう支援していく精神保健福祉士が誕生したのだ。

 社会福祉学を学問の基盤におき、「生活者の視点」をもって、対象者の、これまで歩んできた歴史、社会的背景に目を向ける。ニーズを“個別”にとらえ、支援を始める。そして、当事者と社会との間にあるストレス等の関係性にも目を向け、社会資源を活用しながら支援を展開する。仮にその地域に利用できる社会資源(例えば居場所や働く場所)が乏しければ、自ら社会資源を立ち上げることも視野に入れ展開いくところにPSWの大きな特長をみることができるのだ。

 

 また当事者が自立した生活を送れるよう、障害年金障害者手帳ホームヘルパー等の制度を活用し、経済・生活を側面から支えていく。

 精神保健福祉士はこのように、当事者を取り巻く環境にも働きかけるソーシャルワーカーであって、部屋でカウンセリングをする臨床心理士とは違う。専門学校では、精神保健福祉士はカウンセラーではないと言われた。その違いを入学後に知った人は、卒業後に改めて心理の道に進む人もいた。精

 神保健福祉士法は1997年12月に可決成立して1999年に第1回試験が始まった。雄志が専門学校に入ったときは、まだ国家試験が始まって3回しか行っておらず、つまり過去問も3年分しかなかった。(2002年当時時)

 講師も学生も、また学校全体としてもこの新しい資格には手探りであり、なんとしても資格を取得し働こうと同級生たちは“就職口”をみつけるため、人脈づくりに励みつつ、勉強していった。講師の先生のなかには、過去問からやる方がいいと話があり、夢中で繰り返し問題を解き、先生に解説してもらう日々が続いた。

 ある日、専門学校の紺野先生(仮名)は

「この精神の病気になる人は、みな、ほんとに一生懸命で真面目に頑張ってきた人たちなんです。」
と実感を込めて講義をしてくださった。

「僕をわかってくれる人がいる!」
雄志は、心の重荷が軽くなったような気がした。そして、ふと苦い過去を思い出していた。

 雄志の学生時代はサークル活動で満たされたものもあったが、多くは孤独地獄であった。孤独から抜け出すために、懸命に頑張り、もがいてもがいて、悩んで悩み抜いた。でもいつもゴールにたどりつかない心の渇きを感じていた。

 しかし、砂漠のような荒れ果てた心に水が染み渡ってゆくように、講師の紺野先生の対人援助技術の講義は雄志の心に染み込んでいった。

 “これだ!これだ!私の探していたものはこれなんだ!見つけた!やっとたどりついた!”

 雄志は専門学校で精神科ソーシャルワーカー講師であり、西雲作業所の所長・紺野先生の講義を聞いて、この人についていけば大丈夫だ、安心だ、と心が満たされた。

 学生時代から、『人のために尽くしたい』と、心の旅を続けて、たどりついた結論がそこにはあった。ただ、雄志は自分の思いを伝えることだけに力を入れすぎて、後輩の気持ちをとらえることができなかったのだろう。

 焦りともどかしさ、力のなさに落ち込み続け、やがて自信をなくし、部屋にこもることが多くなっていったあの時を思い出していた。

やっぱり僕は相当心を病んでいたみたいだ。しかし、この精神の対人援助の実践を積み重ねて行けば、僕の心の傷も必ず癒えていくに違いない”
一筋の光明がパッと照らし出されてくるかのようであった。

「この精神の病気になる人は、みな、ほんとに一生懸命で真面目に頑張ってきた人たちなんです。」

雄志は講義を聞きながら涙の出る思いがした。

周りと比べて自分に能力がないことへの劣等感や焦り、サークル運営で真剣に悩み沈み、もがいた積み重ねがもたらした病気でもあった。

雄志は、人に尽くしたいとの気持ちが強かった。しかし、それをどんな技術で、どのようにして蓄積し、実践していくのか、ということを全く知らなかったのだ。

紺野先生は講義で語った。
「みなさんは、(精神障がいのある)メンバーさんがどう思い、どう感じているのか、なぜそう行動するのか”を考え接してください。メンバーさんは、なかなか言葉に出して自分の気持ちを表現することがうまくできないんです。また、なぜそう思ったのか、わからないときは本人さんに聞いてみてください。その言葉の背景を大事にするんです。」

雄志はこれを聞いてハッとした。これは精神疾患を有する人に対してだけではなく、子供からお年寄りまで、すべての人と接するときに必要な技法ではないかと。

「先生、実は僕も薬を飲んでいるんです・・・。」
雄志は、講義が終わると、興奮さめやらぬまま引き込まれるように、相談していった。